2002年4月9日のバイブルスタディー
(マルコの福音書13章28-37節)


気をつけなさい、目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。(33節)

キリストがふたたび来られるときがいつなのか、私たちは知らない。「ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます」(32節)とキリストが言われたように、その時まで隠されたことだからだ。ただ私たちにとって、「目を覚まし」ていることが、神に与えられた道だ。

実にここで、「目をさまし」(33節)、「目をさましているように」(34節)、「目をさましていなさい」(35節)、「目をさましていなさい」(37節)と、5節の中に4回も“目をさます”という言葉が出てくる。これだけ集中してくり返される言葉は、重要なだけでなく、緊迫した言葉でもある。

目をさますというのは、信仰を持ちつづけ、信仰の生きた生活を捨てないということだろう。私たちはともすると、この世で暮らす中で、信仰に基づく生き方を忘れて、世俗的な価値観に巻き込まれてしまいやすい。これは、キリストの来臨を迎える者としては、眠っていることになるのだ。

「気をつけなさい、目をさまし、注意していなさい」という言葉には、いろいろな意味が込められていると思う。偽キリストに惑わされるな、信仰心を忘れないよう警戒せよ、という意味は同時に、私たちが信仰生活をする上で、よき条件ともなる。気をつけなければならない状況、これはとりもなおさず、私たちがよりよき信仰生活のできる条件でもある。

このように、命令とともに、私たちを導くお膳立てまでもしてくださったキリストに感謝し、信仰の目をさまして瞬間瞬間を生きていきたいと思う。